1%の風景

監督・撮影・編集:吉田夕日 出演:渡辺愛(つむぎ助産所)、神谷整子(みづき助産院)

11.11土よりポレポレ東中野ほか全国順次公開
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イントロダクション
99%のお産が病院やクリニックといった医療施設で行われている日本で助産所や自宅での出産という「1%の選択」をした4人の女性と彼女たちをサポートする助産師の日々をみつめたドキュメンタリー
99%のお産が病院やクリニックといった医療施設で行われている日本で助産所や自宅での出産という「1%の選択」をした4人の女性と彼女たちをサポートする助産師の日々をみつめたドキュメンタリー
あまり知られていない助産所という場所。そこでは助産師が医療機関と連携し、妊娠、出産、産後と子育ての始まりまで、一貫して母子をサポートしています。健診のたびに顔を会わせ、お腹にふれ、何気ない会話を交わす。妊婦と助産師はささやかな時間を積み重ね、信頼関係を築き、命が生まれようとする“その時”をともに待ちます。
初めてのお産に挑む人、予定日を過ぎても生まれる気配のない人、自宅での出産を希望する人、コロナ禍に病院での立ち合い出産が叶わず転院してきた人。都内にある二つの助産所を舞台に4人の女性のお産を撮影したのは、本作が初監督作品となる吉田夕日。第一子を病院で、第二子を助産所で出産した経験から、助産師の仕事とその世界をもっと知りたいと本作の制作を決意しました。
この映画で描かれるのは助産所や自宅での自然分娩です。しかし、大切なのは場所や方法を問わず、命を産み、育てようとする女性のそばに信頼できる誰かがいる、ということ。近年、さまざまな理由によりお産を取りやめる助産所が増えています。社会が多様化し、選択肢がひろがる一方で、失われつつある“命の風景”をみつめた4年間の記録です。
出演者
つむぎ助産所
177-0045 東京都練馬区石神井台2-2-17
助産師
渡辺 愛わたなべ あい
1964年北海道旭川生まれ。北海道大学医療技術短期大学部看護学科卒業。埼玉県立衛生短期大学助産学専攻科修了。20代は病院看護師、村の保健師を経験。その後 地域に暮らす母子と深く関わるため、東京国分寺市の矢島助産院、および赤ちゃん訪問で助産師としての経験を積む。2011年東京練馬区に「つむぎ助産所」開設。2022年隣接する建物に「つむぎ産後ケアサロン」オープン。1女・2男の母。料理と生き物が好き。
つむぎ助産所で出産する女性たち
菊田冨美子きくた ふみこ
2児の母。長女を助産所で出産。長男は胎盤剥離のため助産所から病院へ転院し、出産。
山本宗子やまもと もとこ
5児の母。長男は病院で出産。長女・次女は助産所。次男・三男は自宅で出産する。
みづき助産院
115-0056 東京都北区西が丘2-10-10
助産師
神谷 整子かみや せいこ
1951年岩手県北上市生まれ。生後まもなく東京に転居。東京大学医学部附属助産婦学校卒業。東大病院産婦人科、医療法人育和会長橋産婦人科に勤務。その後、東京文京区の「八千代助産院」に勤務しながら、施設を持たずに訪問を専門とする出張開業助産師となる。保健所嘱託の新生児・妊産婦訪問、母親学級講師、母乳教室講師など地域母子保健業務に関わる。2000年東京北区に「みづき助産院」を開院。入院助産・出張助産をになってきたが、2021年お産の取扱いを終了。現在は母乳育児相談・産後ケア入院・産後デイケアに従事する。1女・2男の母。ゆっくり温泉旅行が好き。
みづき助産院で出産する女性たち
飯窪愛いいくぼ あい
3児の母。長男・次男を病院で出産。長女を助産所で出産。
平塚克子ひらつか かつこ
2児の母。長女は沖縄へ里帰りをして病院で出産。次女を助産所で出産。
助産所について
助産所では、妊娠中から分娩・育児まで助産師による母子の状況に応じて継続したケアを受けることができるのが特徴です。なお、世界保健機構(WHO)が推奨する分娩期のケアには次の4項目が挙げられています。
  • ・妊産婦を尊重したケア
  • ・効果的なコミュニケーション
  • ・産婦が希望する付き添い者の確保
  • ・助産制度が機能している環境下において、助産師が主導する妊娠・出産・産後を通した継続ケア
※「WHOガイドライン:ポジティブな出産体験のための分娩期ケア 」参照
助産所とは...
助産所とは、助産師が責任者として管理する医療法で定められた施設のことです。
医師は常駐しておらず、麻酔や薬剤利用を伴う医療行為ができないため、分娩を取り扱う場合は、嘱託医や嘱託医療機関の確保をしています。

9床以下と病院に比べて小規模で、普通の住宅のような建物が多く、アットホームな雰囲気が特徴です。また、施設を設けず出張(自宅出産やオープンシステム)のみ行っている助産所もあります。近年は産科医がリスクの高い妊婦に専念できるよう、正常な妊娠経過のお産を助産師主導で行う院内助産所を設ける病院もあります。

助産所では、正常な状態にある母子を対象に、妊娠期から、出産時、新生児との生活初期(産後)に至るまでの期間、助産師が継続してサポートします。母子の健康と安全を確保し、健診・保健指導・分娩介助といった出産に向けた各種ケアを提供しますが、妊娠中や分娩中に異常がみられる場合は、提携している医療機関へ転院するケースもあります。

お産を取り扱う他にも、地域の母子とその家族の健康のため、地元行政と連携しながら、産前・産後のケア、授乳や乳房ケア、育児相談、思春期保健、更年期の女性支援といった幅広い活動をしています。
監督
吉田夕日よしだ ゆうひ
東京生まれ。東京都立晴海総合高等学校を卒業後、フランスへ留学。 南仏モンペリエやロワール地方アンジェ、パリでフランス文化を学ぶ。2004-2005年映画専門学校のÉSEC PARISに在学。帰国後、フリーランスの映像ディレクターとして制作会社テレビマンユニオンに参加。老舗旅番組「遠くへ行きたい」など、日本国内の風土や伝統工芸・食をテーマに取材。第2子を助産所で出産した事をきっかけに、初のドキュメンタリー映画『1%の風景』を制作する。
この映画は、病院で第一子を出産した私が、第二子を助産所で出産したことから始まりました。助産所での日々は、それまでの人生とは別の景色の中にいるようで、一日の時間の流れも、口に入れる食事の温かさも、耳にする音も、匂いも、何もかもが特別でした。また、いつでも頼れる助産師がそばにいてくれる安心感と心強さは、産後の不安や育児の悩みを抱える私たち家族に精神的、身体的な安定をもたらしてくれました。それまでほとんど知る機会のなかった"助産師"の世界をもっと知りたい。私は、生後6ヶ月の息子を背負いながら、カメラを手に助産所に通い始めました。撮影を続けて3年が過ぎた頃、新型コロナウイルスの流行が始まり、外出することさえ儘ならなくなった時も、助産師は妊婦の身体に触れ、会話をし、お産に向き合う姿勢が変わる事はありませんでした。目の前の妊婦一人一人に向き合い、命が生まれるまでを見届ける姿に、私は撮影をしながらずっと勇気づけられていました。この作品で描かれるのは、1%の選択をした4人の女性と助産師が過ごすささやかな日々です。そして小さな命がこの世に生まれるのを、信じて待つ時間です。世界がどんなに変わろうとも、女性が命を授かった時、寄り添う誰かがいてくれますように。そんな願いを込めて作ったドキュメンタリー映画です。
コメント
敬称略、五十音順
自分が選んだお産が、たった1%だということに驚きました。
お灸を楽しみにしながら助産院に通った日々と、
夫と娘と手を取りながらの出産、
まだ自分と繋がっている赤ちゃんに触れた感覚。
障子の向こうから聞こえるまな板の音、
畳の部屋で赤ちゃんと過ごした時間、
あの日のぽかぽかとした光まで鮮明に覚えています。
ここに映し出される親子と同じように
"自分の力で赤ちゃんを産んで この手で取り上げた"その体験が、
"自分の生き方は選び取れる"という自信に、
"地に足をつけて生きる"という実感に見事なまでに繋がりました。
お産という、生きるうちそう何度とあることのない奇跡を、
より主体的で、動物的で生命力溢れるものであれたことが、
今の自分を強くしています。
こんな選択肢を誰もが持ち続けられますように。
青柳文子モデル、俳優
長いこと動物園(旭川市旭山動物園)の飼育係だった。
そこではたくさんの”生命”いのちとであった。
たくさんの”赤ちゃん”をみてきた。動物たちの出産日(哺乳類)、
孵化日(鳥類)は妊娠期間、抱卵期間でだいたいわかるが、
いつも「あれ、産まれてる。」だった。
でも、飼育係として”助産師”をしなければならなかったこともときどきあった。
ある日のこと、飼育係事務所でお昼ご飯を食べていた。
外でキリンを見ていた子どもが走ってきて言った。
「おじさん キリンさんのお尻から 足がでてるよ」あっ、たいへん 産まれる!
いそいでキリンを産室に入れ、床にワラをしきつめクッションにした。キリンは立って産む。
2m以上の高さからニュルニュルストンと落ちてきた。
キリンはすぐ赤ちゃんの羊膜をなめ、体をなめ、世話をするのだが、
このお母さんキリンはなんにもせず、知らん顔でエサを食べている。
ほっておくと死ぬ。
獣医、飼育係が産室に入り、羊膜を取りのぞき、産場で体をふき、きれいにした。
赤ちゃんはふらふら立ってなんとかお母さんの乳首にすいつく。
その瞬間、お母さんキリンは言った。
「あら、坊や、産まれたのね。たくさんのんでね。」
赤ちゃんは元気に育ち立派な大人になりました。
フクロウのヒナを孵卵器で育てたこともある。
スカンクの赤ちゃんを哺乳瓶で育てたこともある。
”助産師”の真似ごとのようだったが”生命”いのちが濃く感じた。
このドキュメント映画は、本物の”助産師”と”生命”いのち
”ひとごと”でなく伝わってくる。
あべ弘士絵本作家
傍に居る誰か、
誰かの傍に居る自分…。
答えをすぐに求め過ぎず、問いを深めること。
「待つ」という生き方…。
静かで、あったかに、ドキドキと、
この映画は生きることの中身を語りかけてくれている。
伊勢真一ドキュメンタリー映像作家
どんな人も「いのち」が宿り「お産」を経由して、こうして存在している。
そういう意味で、自分が「いのち」を授かったことを
改めて考え直すきっかけにもなるだろう。
「日々のお仕事の中で、映画の中で語り得ないこともたくさんあるかと思います。
いつも大変なお役目を引き受けいただきありがとうございます。」
と映画を観た後に言葉が漏れ出てきた。
この映画であなたは何を感じただろうか。
稲葉俊郎医師、医学博士
学生時代に助産所で実習をしたとき、
そこでお産をされたお母さんが言っていた。
「陣痛が始まって不安な気持ちで助産所へ行ったけど、
助産師さんの姿を目にして”もう大丈夫”って思えたんです」。
そうして生まれた赤ちゃんを大事に抱えながら朗らかに笑っていた。
何か助言をしたわけでも、手を差し伸べたわけでもない。
ただ姿が見えただけでも安心感を与える存在。
「お産を助ける」とは、そういうことなのかもしれません。
生方美久脚本家
『1%の風景』は出産と助産師のかかわりを丁寧に記録した映画である。
この風景を記録映画としてだけでなく、
引き継がれるべき日本の未来遺産として残すために必要なことは何か。
それを模索するのは、わたしたちの課題である。
大出春江大妻女子大学名誉教授、『産婆と産院の日本近代』著者
孤立出産や、産後うつといった問題が社会を取り巻き、
お産がどんどん「個」ではなく「孤」になりつつある時代において、
「個」である妊婦に寄り添い、受け止め、
生命の揺蕩うさまをただそばで見つめていてくれる、
その存在がどれだけ必要なことか。
そのことを訴える人が、社会にどれだけいるだろうか。
吉田夕日監督は間違いなく良い仕事をした。
小野美由紀作家
いのちを身ごもり、この世界に迎えることは、
なんという大仕事なのだろう。
妊娠出産はあたりまえのことではない、
だからそれぞれが、どうかそれぞれに見合った方法で、
しあわせにその大仕事に向き合ってほしい——
監督と、助産婦さんたちの、そんな声が聞こえてきた。
角田光代作家
産む人と、そばにいる人と、うまれてくる赤ちゃんと。
笑い声、唸り声、泣き声が居合わせるこの風景が好きだ。
今を超えていく、あたらしく生まれだす風景。
私もここから始まった。
繁延あづさ写真家
「私ね待つことが好きなの。
待って待って待って…待った結果が“命"だからね、いい仕事でしょ?」
——人を待たせてはいけないと思って生きてきた私は、
助産師さんのこの言葉に泣きそうになった。
分娩は十人十色ではあるけれど、
どうかすべての妊婦さんと赤ちゃんが、
あたたかくその時を待ってもらえますように。
この映画を観終わった今、
祈るような気持ちでそう思う。
瀧波ユカリ漫画家
待つ、という言葉の意味の深さと重さとおだやかさが沁みた。
出産は特別なことだけれど、
普通の生活の延長線上にあることなんだと
初めて気付くことができた気がする。
おみそ汁を啜って、おにぎりを食べて、
空を見上げて、そのときを待つ。
子どもに寄り添うように産婦さんに寄り添う助産師さんは、
お母さんを育ててくれる。
生まれて、生きて、そばにいる。
なんて当たり前で、なんて希有なことだろう。
東直子歌人・作家
命をかけて産む母と、命をもらって生まれてくる赤ちゃん、
その全てを抱きとめる助産院のみなさん。
あったかいけど、やっぱり壮絶。
あんなこと3回もやったのわたし?!って、
よくやったなぁ、って、時を超えて
自分を褒め称えたくなりました。
誇らしい気持ちにさせてくれて、嬉しかった。
わたしまでケアされてしまいました。
和田明日香料理家、食育インストラクター